繭は私の顔
6月6日は、春蚕の出荷でした。
私が育てた繭は今回より熊本で乾燥をするため出荷をしなかったのですが、
出荷場へお手伝いに行ってきました。
選繭(せんけん)をし、汚れた繭、形の悪い繭を取り除き、綺麗な繭を出荷袋に詰めていきます。
各々自宅で選別は行うのですが、出荷場でもう一度確認を行います。
「これくらいの汚れはどうしますか?」 と、尋ねたら、
『跳ねとって。繭は私の顔だけん。汚れた繭を出すのは自分の顔を汚すことだけん。』
との返事が返ってきました。
この出荷場で、これまで何十年もの間、繭を出荷し続けてきた農家さんの歴史を感じる言葉でした。
先輩農家さん。
私の住む山鹿には、2人の現役農家さんがいらっしゃいます。
育蚕期はほぼ毎日、どちらかのお母さんから電話があります。
作業を終えた夜遅くだったり、朝一番だったり。
『生きとるねー?』
『倒れとらんねー?』
『明日からお蚕さん、よーけ食べらすけん、桑刈り頑張らんばいかんよー』
この電話がどれだけ私の体にパワーをくれたことか計り知れません。
お母さま方もおひとりでの作業で大変な中、気にかけていただいてること、とても感謝しています。
今回、自身の桑畑では収穫量が足りず、先輩農家さんの畑にお世話になりました。
給桑も佳境を迎え、雨の中2人で桑刈りをしていたら、
「お父さん(ご主人)がおった時はねぇ、こんな大雨の日は、
『お前は家におれ。俺一人で行ってくるけん、お前は少し休んどけ。』 って、優しかったとよー。」
「昔は養蚕の番付表ってのがあってな、うちが新人の頃、西の横綱になって、お父さんと一緒に表彰されたことがあるとよ。もーあん時は二人で喜んだー。」
大地の重力に身を委ねたお母さんは、色んな話を聞かせてくれました。
そして、ものの2~3分、
「さー、お蚕さんが待っとる。がまだすばーい!ガハハー」
と、軽トラに桑を大量に積んで、元気に走り去っていきました。
お母様方のパワーは、これまでの、それぞれの家庭で行ってきた養蚕の歴史や記憶、思い出の中からも湧き出てきたりしてるのかな。と、感じました。
先輩方の飼育法やお蚕さんに対する思いは、養蚕を取り巻く環境が変わった現在でも変わりませんが、養蚕最盛期の勢いや忙しさは、現在と比較できない程大変だったと思います。
色んな方に昔の話を聞かせてもらったりしますが、現在しか知らない私はゾッとしてしまうほどです。
熊本には最盛期、約7万軒の養蚕農家があったそうです。
それぞれの家庭に、それぞれの歴史、辛かったこと、嬉しかったこと、たくさんあるのだろうな。と思います。
今回の出荷当日、お母様方の顔はニコニコ上機嫌。
今回の繭の出来はとても良く、収繭量、形、共に満足のいく結果だったようです。
その顔を見れて、とても嬉しかったです。
『あんた、よー頑張った。うちも、よー頑張った。ガハハー。』 と、お母様方。
ありがとうございます。
綺麗に加工してくださってありがとうございます。
大事に飾ります。
そういえば、今回の育蚕期はとても慌ただしく、
ほとんど写真(記録)を残せませんでした・・。
これから先、養蚕の技術も勿論もっともっと向上したいし、知りたいけど、
他に知りたいもの、残したいものが今、心の中にあります。
今は、その知りたいもの、残したいもの、を言葉ではうまく表現できないし、
説明することもできませんが、
今は言葉に出来ない分、自分の心に、体に刻みこんでいきたいと思っています。
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